2011年3月16日水曜日

日々のゆらぎ

今日は風がつよい。
ゴーゴーという風の音が不安感を煽ってくる。
ここのところずっとイライラしていて、
自分の至らない部分がやたらと目につき、
そしてだだ漏れになっている。


そんなことをちんたらとブログに綴っていると、
タムくんのツイッターが目にとまる。

安全なところにいるのに心が揺れたらやってみてください
http://bit.ly/hVt44d

まさしくどんぴしゃな内容でびっくりした。
やっぱりすごいわ、この人。
地震発生以降ツイッター上で一番すごいと思った。

何を思えば、そして行動すれば一番いいのか、
ちっともわからない。
でもそれは産まれてこのかたずっとそうだ。
地球の未来も、自分の未来も全部がよくわからなくて、
このままでいいのか、それとも何かを変えるべきなのか、
いつも思っていた。
「こうあるべきだ」と思ってやってみたことが、
まるで検討違いのこともいっぱいあった。
失敗とか、間違いとかを何度も繰り返して、
違う選択をするしかなくなって、
私は今ここにいて、こんな風に言葉を綴っている。

みんながそうなんだろう。
色んな失敗をして、いっぱい痛い思いをして、恥ずかしい思いもして、
次へ進む。
原発問題だってそうだ。

「原発なくせばいいじゃない」
と、簡単に発言したら、
「お前は非現実的な人間だ」
と、兄に言われる。

「原発をなくす」ということがなぜ非現実的なのか。
ということを兄に聞かなかったのだけど、(ケンカになりそうで)
きっと色々な知識や情報をもとにして言ってるのだろうと思う。
これだけ電気を使う人間が、電気を使わなくなる生活になるのが
非現実的だと言っているのかもしれない。

「原発に変わるクリーンなエネルギーを」
ということなのだろうけど、きっとそれも簡単にはいかないのだろう。
そもそも私に原発の知識がまったくない。
今までそんなに深く考えた事もない。
ただ思い出すのは、
黒澤明監督の『生きものの記録』や『赤富士』だ。
『生きものの記録』は放射能に怯えてブラジルに移住すると言い出す
おじいさんの話し、
『赤富士』は、富士山が噴火して原発も爆発して日本中が被曝するという話し。
監督はやはり天性の生き物としての根源的な感覚で感知して、
人類の未来をきちんと見据えていたと言える。
それと山岸凉子さんの『パエトーン』。
原発の恐ろしさを神話に例えて漫画で丁寧に説明してくださっている。
さっきもう一度読み返したところ、驚いたのが、
「日本のエネルギーは原発を使わなくても間に合う」
ということ。
ただ原発を建設する事で一部の人間が多大な利益を得る。
本当にそれだけの為に原発が至る所にあるのだとしたら、
ばかばかしすぎて、脳みそがとけてしまいそうだ。

今まで原発問題をほったらかしてきた、
人類のひとりとして切実に原発の事実を知ろうとしなくては
ならない気がする。
しかし事実を知るのは難しい問題のような気もする。

やっぱり人類は大惨事を経験しなくてはならないのだ。
未然に防ぐ事はできない。

いくら宮崎駿が『風の谷のナウシカ』を描いても、
環境破壊も原発もなくならない。

ほんとうに人間という生き物は不思議というか、
多様性に満ちているというか、愚かだ。

原発つくるのも、戦争するのも、音楽つくるもの、
絵を書くのも、祈りを捧げるのも、全部人間。
色んな人間が住む世界。

いよいよ現実逃避だろうか。
近頃ここは仮の世界なんじゃないかって気がしてくる。
私が住むべき本当の世界ってどこにあるんだろう。

“どうやったら誰も傷つかなくて済むんだろう。
誰も傷つかなくて済む世界はどこにあるんだろう。
そんなところ、この世界にはないのかもしれないけど、
私はいつもどこかにあるんじゃなかって、
じっと我慢強く探し続けているんだと思う。
(3月7日のつぶやき)”

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