2011年3月15日火曜日

深くもぐったらこんなのが出てきた1

僕らに流れる運命をとめることはできないんだよ。

この世界は激流。

どこまでも流れていく。

その先はあるの?

あるかもしれないし、ないかもしれない。

でも、みんなでいくんだよ。

今生きてる人も、死んでしまった人も。

草も、木も、花も、犬も、猫も、雲も、水も、全部。

行き着く先は、ぽっかりと空いた穴かもしれないな。

地球で暮らす人々は、危機に直面してやっと気がつくんだ。

本当の平穏がやってくるまで動き続ける。それが使命。

本当の平穏なんてやってくるの?

やってくるかもしれないし、やってこないかもしれない。

目の前の地獄から目を逸らして逃げているだけかもしれない。

逃げて、逃げて、逃げた先に、本当の世界があるかもしれないし、

そんなものはどこにもないかもしれない。

ただ、逃げている最中は夢中だということ。

人々は夢中になりたいだけなんだ。

世の中の煩わしいこと、つまらないこと、全てから逃げたいんだ。

それは、生がどんなに退屈かということだ。

生は膨大な時間を消費する。

覚醒しなければ、生なんてものは苦痛でしかないね。

だって余計な事を考えるからね。

年金のことや、人間関係のこと。

その多くが背負わなくてもいい余計なものばかりさ。

でも人間は自ら進んで好んで背負うんだよ。

なぜって退屈だからさ。

いつだって人間は退屈に押しつぶされそうな生き物なんだ。

だから地震を起こして混乱を起こしてやったというわけさ。

絶望やら、希望やら、人間は好き勝手に食い散らかして、

みたいものをみるからね。

とにかく汚いやつらなんだよ。

それでいて急に自分達を正当化して正義の皮をかぶっていやがる。

昨日まで「セックスしたい」か「腹へった」ぐらいしか考えてないやつらがさ。

みんなヒーローになりたいんだよ。

ここぞとばかりにもっともらしいことを言って、みんなから尊敬されたい。

自己を満たしたい。

他人から必要だって言われたい。

人間が命をつないでいる理由なんてそんなものさ。

地震は断層がちょっと動いた事で地面が揺れる事だ。

そんなことでわーわーきゃーきゃーうろたえる。

人が何万人と津波に吞み込まれて死んだ。

「ご冥福をお祈りします」

ご冥福?なんだそりゃ?

死んだんだよ。とにかく。

子どもが笑いながら蟻の巣に水を流し込んで殺すのと何が違う。

とにかく、人という奴はいざ自分達の事になると大騒ぎする。

感情があって、感覚があって、思考がある。

ただそれだけだ。

感情があって、感覚があって、思考がある人間は、

感情と、感覚と、思考に訴えてくる。暴力的なまでにね。

渦になって襲いかかってる。それは津波と同じなんだ。

根こそぎ持っていこうとする。

波に呑まれて流れていない奴がまるで悪みたいにしてね。

つまり、今ここで書いているこんな女の精神は袋だたきにあう。

人間に同調せずに、全く孤立しているから。

はぁ。まったく理不尽な世界だ。

色んな世界があるってことをもっと知ったほうがいい。

いや人間は色んな世界なんて知りたくないんだ。

ただ自分が知りたいことだけを知りたいだけだ。

大きな波に流されることは楽なのは解るけど、

出られるものなら、一度波からあがってみたほうがいい。

また新しい方向からの世界が観られる。

観られるからってどうなるわけではないけれど、

この世界は、国は、結局今回の地震を武器にさらに強くなるのは確かだ。

意地とか、プライドだけはやたら強い生き物だからね。

そして武勇伝として語られていくのさ。

ちょっと乱暴だけど、そんな風にして、ひとつの物語を与えたというわけ。

人間は感動とか、涙とか、逆境とか、試練の話しが大好物だろう?

全ては退屈から解放してやるためのおもちゃなんだ。

これで人間達はしばらく遊んでいるだろう。

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