2011年3月21日月曜日
ボーダーライン・ディスオーダー
近頃キャベツもレタスも大きくてみずみずしい。
そんなところでも、もうすぐ春なんだなーということを実感する。
昨日はBSで「17歳のカルテ」をやっていて、
母親と一緒に観ていたのだけど、
母親的に随分共感を覚える内容だったようで、
「これは深い映画だわ」なんてことを言っていた。
私は昔、一度観た事がある映画なのだけど、
今回改めて色々考えさせられた。
ウィナノ・ライダーが演じる主人公のスザンナは、
境界性人格障害。
この病気を調べてみた。
対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性。成人期早期に始まる。
患者の母親自身が境界症候群的障害を内蔵していることが多い。
とある。
まさしく私たち母娘の病気だった。
なんとなく、この映画をふたりで観てよかったと思う。
べつに問題は解決しないけれど、関係性を客観視したり分析できる。
私はもう28歳なので「成人期早期」には当てはまらない。
しかし精神的自立を果たした一人暮らしを終えて、
実家に戻った22歳から私の精神は明らかに変調をきたしていた。
人生の暗黒期に入ったのもあるし、母の側にいると不安定になった。
それは母の不安定さに嫌でも同調してしまうからだ。
今でも母の側にいると気持ちが乱れる。
はっきりいって、近くに居ないほうが絶対にいい。
しかし母は無意識のうちに子どもを側に置こうとする。
離れて欲しくないのだ。
なにかしら正当な理由を作って側に居させる。
それが息苦しい。息苦しいけど側に居るしかない。
はっきり言って母の存在は私にとって愛ではなく、
呪いであって、拘束するものだ。
女とは、母とはそういう生き物だ。
愛という名目の「欲望」「洗脳」「執着」「束縛」
そういったドロドロした生き物なのだ。
男には到底理解できない。
なぜなら完全に洗脳されているからだ。
それを愛だと思い込まされている。
きっと男からは「愛を理解できない可哀想なやつだ」と思われるだろう。
しかし私は母と同じ女という生き物だからわかる。
すべての女は母になりうる。つまり創造主だ。
簡単に神のような存在になれるのだ。
そして全ての女は暴力的なまでにその権限を主張する。
女が無神経で、横柄なのはそのせいだ。
その姿は醜くみえたり、美しくみえたりするが、
最近はどうも醜い女が多いように感じる。
きっと巧い見せ方を知らないのだと思う。
私はなるべく母親と過ごす時間を少なくするようにしている。
同じ家には住んでいるけれど、多くの時間は共有しない。
そのほうがお互いが楽だし、平静でいられる。
平和な時間を過ごす為には、そのように意識的な工夫が必要なのだと思う。
母と娘の関係は底なし沼のように深く、暗く、重い。
そのことをこれからも研究できたらと思う。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿