2011年4月22日金曜日
ヒトラーのように
いとうせいこうの「道との遭遇」でのパフォーマンス。
どうなんだろう、これ。
なんかすごく複雑な気持ちになるのは一体なんだ。
キング牧師や、ダライ・ラマの名前を出してるけど、
ウッドストックとか、エジプトの革命のこととか言ってるけど、
どうなの?
私は原発問題をすごく冷めた目でみている。
それは政治に関してもそうだ。
無関心というわけではないけど、
関わり方がわからないというか、
自分とは全く次元の違う世界だと感じる。
関われば関わるほど泥沼にハマっていくような、
どんどん窒息して死んで行くようなそん世界。
存在が遠すぎて、よくイマジネーションが働かない。
結局、金と権力の世界だからだろう。
人は善くも悪くも、何事にも追求をせずには居られない生き物だ。
だから、きっととことん追い込んで、今の文明はいずれ自滅する。
「あの時あんな風に抗っていた人たちも居たんだけどな〜」
と、懐かしむ感覚。
「なんとかしなくちゃ」
という気持ちを持って世の中に働きかける人たちはたくさんいる。
でもそれは才能を持った一部の人たち。
「才能がない男達が戦争をしたがる」
と言ったのは、坂本龍一だったか、村上龍だったか。
無能でモテないその他大勢の男がこの世に存在する限り、
どんなに世界が愛に溢れていようと、
愛を感知できない人間にとって、この世は地獄だ。
「地球がいつ滅亡してもいい」
と考える人間はいつの時代にも居る。
結局のところ、感覚が似た者同志で群れて、
「そうよね、そうようね、あなたの言う事は正しいわ」
と小さな世界で和気あいあいとするしかない。
そんなことをするよりも、
全く話の合わない人間達に立ち向かって、
その人間を説き伏せる能力が必要なのだけど、
それは至難の業だ。
心底嫌な思いもするだろうし、
結局他人とは解り合えないことも感じるだろう。
つまり人は人を選んで話しをする。
自分の話しが通じる人にしか話しをしない。
そういうものである。
そういう人たちを見ていると、
「ああ、結局何も変わらないんだろうな」
と、ものすごく冷めた目線でぼんやりと眺めてしまうのだ。
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